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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

雨に煙る国宝〔5921〕2019/07/02

雨に煙る国宝

2019年7月2日(火)小雨降るお薬師さん

今日は本州方面出張。坂出から乗ったマリンライナーの中で、このにっこりを書いてます。坂出までは、車で国道32号。早朝出社してひと仕事片付け、かなり早めに会社を出てきたので、途中、寄り道できました。JR大田口駅から車で7分ほど山中へ上がった、ここ。

国宝豊楽寺薬師堂。雨に煙るお薬師さんの幽玄さよ。ああ。これぞ、国宝。

 

高知県には3つしかない国宝の、ひとつ。日高村小村神社「金銅荘環頭太刀」と、古今和歌集「高野切本」と、ここ。1151年に建てられた美しい単層入母屋造の建築。高校生のときに汽車に乗ってきて以来、幾度、ここで心洗われたことか。

 

ここが国宝なのには、理由があります。古い建築が、そのままの様式でそのまま残っているから。

 

日本のお城の天守で、国宝は、5つしかありません。ご存知姫路城、松本城、彦根城、犬山城。そして近年国宝に指定された松江城。どの天守も、古い古い天守。高知城が国宝でないのは、あの天守が18世紀中頃に再建したものだからね。でも、江戸時代からの天守でそのまま残ってるのは、国宝の5つや高知城を含めて12しかない訳である。

 

今日はね。文化遺産マニアとして、少し書きたい。汽車移動で時間あるし。乾坤一擲。

 

先日、某国首相が大阪城にエレベーターを作ったのは「大きなミス」という「ジョーク」を言ったとか言わんかったとか。

これがまあ、議論になってます。色々と喧しく。バリアフリー問題とか。

でもね。僕ら文化遺産愛好家、マニア、オタクが言いたいこと。

 

そこぢゃない!

 

いや、もちろんバリアフリーは大切な問題。それはそうなんだけども、それ以前に文化遺産に対するそもそもの認識の話が、ズレてるんではないか。そんな話。

 

まずね。姫路城にエレベーターなんぞ無いから大阪城にはいらん、ということを言う輩が居るのに驚いた。姫路城にある訳ないやろ。国宝やぞ。現存天守やぞ。興奮すると関西弁になるのはよそうね。

つまり。つまりですね、高知城を含め、藩政期から残っている天守にエレベーター付けたりするのは有り得ない。江戸時代から「そのまま」残っていることに、価値がある文化遺産だから。当たり前。

例えそれが、松山城天守のように幕末になってから建てられて、まだ165年しか経ってない天守でも、だ。城としての機能を果たすために構築された城で、まぎれもない現存天守だから。

 

大阪城の現在のやつが建てられたのは、昭和6年。88年前。

 

あのね。

大阪城が鉄筋コンクリート造りで、エレベーターがあるのはいかがなものか、という議論は、この100万年間議論され尽くし、1000万年間語り尽くされた話なのね。確かに僕も子供の頃、そんなこと思ってた。しかし。議論は尽くされ、熟成されたのだ。僕ら文化遺産マニアの中での大阪城天守の存在価値は、まさに現在の、あの、今の天守にあるのである。これ、本当。

 

だって、昭和6年。88年も前に、当時の技術の粋を集めた、天守台を含めたら50mを超えるという高層鉄筋コンクリートの建物を建てようと思った志。こころざし。すごい。すごいと思いませんか?

しかも、エレベーターだ。昭和6年にエレベーター。当時、日本にどれくらいのエレベーターがあっただろうか。昭和6年。

もちろん現在の大阪城天守のエレベーターは、駆動部分とか、新しい安全なものになってるんだとは思うけど、そもそも最初に作られたのが昭和6年のエレベーター。すごいではないか。

だから、昭和初期の産業遺産でもあるから、あの天守は、登録有形文化財に指定されているのである。

僕ら文化遺産マニアにとっての大阪城天守は、そこにこそ、素晴らしい価値があるという認識。それは揺るぎもしない。

 

太閤秀吉が大阪城をつくった思い(築城30年で焼失)。徳川秀忠が再建したときの思い(築城39年で焼失)。そして昭和の初めにその当時の技術の粋を集めて復興天守を作った思い(88年経過し、健在)。どれも、良いではないかと、僕は、思う。

 

それをだ。1億年前に議論されてたような話を出してきて「ジョーク」だそうな。こういう、「文化のこと大切に思ってますよー」的なこと言うのは良いけど、それは、大阪城天守の、本当の文化遺産的価値を知ってから、勉強してからにして欲しい。文化遺産オタクとしてはね。

 

現存天守。復興天守。模擬天守。それぞれ、意味があって、建てられてます。だから別々に考えんと、意味がない。大阪城の天守は、設計図面や文献も残ってないので、本当の本来の姿は、わからない。だからこそ、だからこそ、思いだけを形にして復興天守をつくり、博物館にしたのである。昭和6年に。それから88年。

ちなみに、松山城が国宝(戦前の国宝保存法による指定で、今は重要文化財)に指定されたのは、昭和10年。1935年。天守が建てられたのが1854年だから、81年目の国宝指定ね。

 

今の大阪城は建てられてから88年目。もちろん、近世のお城、という役割の為に建てられたものではないから比較するのは無理があるけど、無理があるけど、いろんなこと、考えさせられます。

昭和6年に、エレベーター付きの、鉄筋コンクリートの、見事な見栄えの高層建築、大阪城を建てた。それはそれでその時代としては、素晴らしいことだったと、僕は思ってます。たぶん、文化遺産愛好家の皆さんは、同じ気持ちだ

 

ああ。長くなってしまった。マリンライナーは既にに岡山駅に到着し、今は特急やくも車内。

大阪城天守の素晴らしさ、わかって頂けましたでしょうか。

エレベーターはミス、といったような、100億年前に行われてたような議論は、考古学的化石として、どっかの博物館に大切に保存展示して欲しい、と、思いました。文化遺産愛好家としては。


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