1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

支塔だけになった、大川橋〔6553〕2021/03/25

支塔だけになった、大川橋

2021年3月25日(木)小雨

春の雨。四国の山中は、靄で白く霞んだ朝を迎えてます。ここは徳島県。JR土讃線祖谷口駅前。

こないだ、「セピア色の吉野川」をご紹介する中で、この祖谷口駅前の吉野川に架かる「大川橋」の撤去工事が行われてる話、書きました。

1958年当時は、オートバイやリヤカー、それに「中車」も渡れる賃取り橋だった、大川橋。「中車」は、たぶんオート三輪みたいなのだと思われます。車も渡れた大川橋。

 

個人の熱意と好意と地元愛で架けられた私橋、大川橋。美しいコンクリートの支塔に支えられた、板張りの吊り橋。その後町に寄付されて無料になり、車は渡れなくなって、人だけがゆっくりのったり渡る素敵な吊り橋になってました。僕が初めて訪れたときも、そう。今から9年前。縦に並べられた板。そして立てかけられた補修用の、板。橋の上でお弁当広げてくつろぎたくなるような、素敵な吊り橋でした。

しかし2019年に行ってみると、通行止め。老朽化による強度不足が問題になったんでしょうかね。しかし、渡る人が居なくなっても、そのまま置いておかれるものと思ってました。撤去するにもお金かかるし。

 

しかし、今月9日に前を通ると、撤去工事が行われていた大川橋。あの美しい支塔はどうなるんだろう、と心配してたけど、どうやら残されるようです。今朝、香川方面へ行くのに通りかかったら、こんな感じでした。撤去工事の工期が明日までなのでね。今日明日で撤去することはできんでしょうきね。この写真のように、昭和10年に立てられたままの姿で、85年経った今も、そしてこれからも吉野川の風景の中で、立ち続けていくんだと思います。架橋した赤川翁の想いを乗せて。

 

大川橋。

と、いうことは、吉野川は、この地元では「大川」と呼ばれてたんでしょうかね。地域のシンボルとなるような川は、よく、「大川」と呼ばれます。

高知の城下では、現在の江ノ口川が「大川」だった。「大川筋」に名前が残る、「大川」。どうやら、城下町建設の頃は、現在の鏡川よりも江ノ口川の方が大きい川だったようです。徐々に、土砂が堆積して狭くなり、鏡川が広くなった、と聞いたこと、あります。鏡川は、それまでは今より狭いクネクネした流れだったようです。八軒町を囲むように存在した逆U字型の池は、鏡川の旧流路の痕跡とも言いますきんね。地形の変遷は、想像を超える。

 

で、江戸で「大川」と言えばもちろん隅田川。江戸の住人たちは、隅田川を「大川」と呼び、そして大川に流れ込むたくさんの川と、網の目のような堀を利用した、水都であった、江戸。

その大川に、両国橋、新大橋に次いで三番目の橋として架けられたのが、「大川橋」。浅草寺の東、今の吾妻橋界隈。

 

江ノ口川は大川でしたが、大川橋があったとは聞きません。中の橋、上の橋、下の橋はあったみたいで、今も残るのは中の橋。

 

この美しい支塔に刻まれた「大川橋」の文字は、この川が大川と呼ばれていたことを、この美しい立ち姿とともに、次の世代へと伝えてゆく。

横から見ると、よくぞこれで倒れんものだと感心してしまう、昭和初期の職人さんの技術です。


←前日の日記2021年03月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter