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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

天安門広場、37年前の公衆便所、3000人の日本人〔6712〕2021/08/31

天安門広場、37年前の公衆便所、3000人の日本人

2021年8月31日(火)晴れ

8月も今日でおしまい。ビックリするくらいよく降った8月。コロナが激しかった8月。記憶に残る8月になってしまった。ひろめ市場も、昨日から9月12日まで休業だって。お酒が飲めないひろめ市場ってのもね。難しいでしょうね。しばらくは、シマカにしよるしかありません。

そんな訳で、今朝もまたまた、コロナでどこにも行けんけど、ネットならどこでも行けるシリーズ。今日は、北京だ。

 

胡耀邦という政治家、覚えてますでしょうか。鄧小平に信任され、中国の改革開放を推し進めた政治家。胡耀邦が亡くなった後、民衆が胡耀邦の政治理念の推進を求たのが、天安門事件勃発要因の一つであったことは、忘れてはならない。1980年、チベット視察を実施した際にその惨状に落涙し、チベット政策の失敗責任は共産党にある、と演説した胡耀邦。チベット語を解禁し、政治犯を釈放し、信教の自由を保証した胡耀邦は、僕らに、明るい中国の未来を見せてくれました。

もし胡耀邦の存在がなかったら、僕は大学の第二外国語で中国語を選択することはなかったかも知れません。

 

その胡耀邦が、総書記として1983年に訪日した際、突然、日本の青少年3000人を中国へ1週間招待するプランを発表し、日本に驚きを与えました。翌1984年9月、3000人の日本の若者が中国を訪れ、盛大なる歓迎を受け、各地をまわることになる。

そして、その3000人の中に、なんと、僕が含まれていたのでした。丁度、岡山大学で研究生をやってた年。働き始める1年前。23才。絶妙のタイミングでした。その時の中国側受け入れ総責任者は、まだ若き胡錦濤、41才。

 

その後、保守派の巻き返しで胡耀邦は失脚し、亡くなる。中国は、天安門事件を経て、経済が劇的に発展して、現在の習近平。あの3000人の交流は、ひょっとしたら歴史の奇跡だったのかも知れない。一瞬の、奇跡。

 

1984年の北京。もちろん、招待している日本の若者に恥部を見せる訳にも参らんので、かなり無理した招待イベントだったとは、思います。デフォルメもあったでしょう。マイクロバスで移動中、道路はすべて僕らのために遮断されてフリー通行だったし。

それでも、人々の暮らしに少しだけ触れることは、できました。経済発展前の、まだ貧しかった中国。僕らはある程度デフォルメを認識した上で参加してたし。天安門広場の公衆便所へ入ると、まだ、あの中国式公衆便所だった。囲いもない、いくつか開いた穴の上にそのまましゃがむおんちゃんが、普通に、大きい方の用足しをしながらこちらを見つめる公衆便所。天安門広場ですら、そんな感じでした。

そして北京で往来する人々は、ほぼほぼ全員人民服。人民服以外の服を着てる人は、見かけませんでした。それが、上海まで下がると、人民服は減って地味な私服を着てる人が多くなるのでした。そんな時代だった。

 

当時のいわゆる「万元戸」という、成功した農家へ連れてってもらい、薪を燃料にして大きな中華鍋でつくった料理を食べさせてもらいました。そして大事にしていたのが、一家に一台大事な自転車。そんな時代だった。

 

あれから37年。

ストリートビューで見た天安門広場。37年前に見た、人民服の民衆はどこへ行ったんだろう。

 

当時では考えられないくらい存在感の大きくなった中国に、胡耀邦が居ないのは、ちと寂しい。


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