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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

野市、のいち〔6915〕2022/03/22

野市、のいち

2022年3月22日(火)小雨

雨ですが、少し肌寒い朝。東京では雪になるかも、という予報なので、お彼岸過ぎた季節としては冷やいねー。寒暖差が激しいので、風邪ひかんようにね。もちろんコロナにも感染しないよう、気をつけます。ワクチン3度目済んだし。副反応がないのが少し気がかりやけど。

 

さて。ここは野市。のいち。平成の大合併で香南市になった、野市。合併後、香南市役所が置かれるようになったのが、野市。野市町、吉川村、赤岡町、香我美町の合併となると、やはり役場は野市でしょう。たぶん、異論も少なくてすんなりと決まったと推察します。だって、現在の町の規模とか利便性とかに鑑みると、野市だ。

ところが。野市というのは近世になってからできた町であり、しかも近世の期間中、界隈で一番栄えていたのは赤岡。野市は、それほどでもありませんでした。もし江戸時代に合併してたら、役場は間違いなく赤岡でしょう。

 

野市の歴史を見てみると。

近世以前は、深淵郷、宗我部郷の一部であり、更新世段丘上の、水の便がよくない不毛の土地でした。どちらかと言えば山裾に集落があり、土佐の東西交通の通過点でもあったのでした。

様相を一変させたのは、もちろん野中兼山先生ね。藩政期初期、物部川に堰を構築して灌漑用水を縦横に張り巡らし、荒れ野だった土地が農地となって豊になる。野に市が立つほどの賑わいを見せる様になった、野市。野市という名称は、正保元年(1644年)に命名された村名とのこと。野中兼山先生が命名したのか、他の誰かが命名したのかは知らんけど、とにかくその時から「野市」が始まったのでした。

 

写真は、土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の「のいち駅」前。向こうに駅舎が見えてます。スマホに表示してあるのは、「古地図散歩」の、戦前のこの場所。青丸が現在地で、当時も同じ場所を鉄道が走っていたことがわかります。

 

で、地区名をよく見てみると、「二又」「切石」「中筋」「下井」など、野中兼山先生の土木工事に由来すると思しき名称が並ぶ町、野市。

もし、野中兼山先生による灌漑土木事業がなかったら、野市は「野市」ですらなく、今とは全然違った風景になっていたのかと想像すると、感慨深いものがあります。灌漑だけに。

 

近世まで赤岡が界隈で一番栄えていたのは、やはり海に面しているからでしょう。海運を活かした交通の要衝。なので、商業が栄えた赤岡。海運が重要視されなくなるにつれて赤岡の存在感が低下し、変わって野市がどんどんと栄え始めたのは、最近のこと。

特に、東日本大震災以降、更新世段丘上で標高が高くて地盤が硬い、しかも高知市への交通アクセスが便利極まりないという野市の人気は高まるばかり。その野市の礎を築いたのは、野中兼山先生。兼山さんが現在の野市の姿を見たら、感慨深いものがあるでしょうねー。灌漑だけに。


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