日本のいちばん長い日〔7061〕2022/08/15
2022年8月15日(月)晴れ
終戦記念日。今は、お盆と終戦記念日がいっしょになってて、平和や人の命の大切さを偲ぶ日にもなっています。こないだから高知新聞では、宮城事件のことに少し触れくれてますね。映画「日本のいちばん長い日」でも有名な、昭和20年8月14日深夜から15日早朝にかけて皇居を舞台にして繰り広げられた、クーデター未遂事件。終戦を良しとしない陸軍若手エリート将校が中心となり、天皇陛下を巻き込んで、終戦を受け入れない陸軍による政府樹立を目論んだクーデター「宮城事件」。今から見るととんでもない暴挙やけど、一定の支持というか、そういう考え方があったのも、事実で、本当にやりきれない。
その事件で、クーデターへの同調を拒み殺された森赳近衛師団長は高知の人で、筆山にその墓所を探しにいったこと、あります。
今日は、その宮城事件に至るできごとがどこであったのか、その重要な場所が現在のどこなのかを、少し調べてみました。
終戦に至る最高決定期間であった「最高戦争指導会議」が開催されていたのは、皇居「御文庫附属庫」。その場所は、昭和天皇が住まいの吹上御所近くにありました。そこは、昭和天皇とそのご家族の防空施設として地下に造られたのでした。場所は、この辺。そして「御文庫付属庫」の会議室で、「最高戦争指導会議」が開かれ、終戦を決定した8月14日の御前会議も、そこで行われています。
平成27,年に、宮内庁がその内部の様子などを公開しているけど、老朽化が進み、朽ち果てていっている様が伺えます。貴重な貴重な戦争遺跡。なんとか保存してもらいたい。
その場所は、この辺り。映画でもあったけど、重要人物はここでも監禁されてます。
最高戦争指導会議が開催されるまでには、閣議などが幾度も行われ、終戦に向けての様々な駆け引きがあったことが映画でも描写されてました。
その当時の陸軍省、そして参謀本部は、ここ。市ヶ谷。海軍省と海軍軍令部は、ここ。現在の農水省がある辺り。国会議事堂がここ。首相官邸はここ。
宮城事件の折、クーデター軍は首相官邸も襲撃したが、首相は私邸に帰っていて無事でした。この日の重要な施設、場所は、やはり皇居のこの南側、霞ヶ関界隈に集中していたこと、わかります。陸軍省だけは、北西に少し離れてたけど。
そうそう。クーデター軍はそのクーデターを知らしめるため、日本放送協会放送会館も占拠しました。玉音盤の奪取も狙った訳やけど、玉音盤は、そこにはなかった。で、放送会館の職員に放送開始を迫るも、職員たちの命をかけた機転で、失敗。その放送会館は、ここ、内幸町にありました。
ほとんどの人々が知らない間に「日本のいちばん長い日」は収束を迎え、無事、終戦となった8月15日。この、半径2km足らずの中で極限の駆け引きによって終戦が決定され、クーデターがあり、収束した記憶は、その「御文庫附属庫」とともに留めておきたい。そんな8月15日。