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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

野根山二十三士と、文治日記〔7423〕2023/08/12

野根山二十三士と、文治日記

2023年8月12日(土)晴れ!

昨夜は、帯屋町や追手筋で21:30までよさこい観てました。みんな楽しそうで、なんか、ちょっとウルウルきてしまった。特に、自由に楽しく踊っている無名チームの姿にウルウル。久々やったけど、やっぱしよさこいは、良かった良かった。忘れていた楽しさを、みんな、思い出したんではないでしょうかね。来年以降に期待が持てます。

 

今日は早朝から出発して、高知県東部。暑いねー。暑いけど、山からはツクツクボウシの声。高知では、よさこいが終わると秋風が吹き始めると言われてます。そう。高知の夏ももう、後半戦。

ここは田野町。少し山手へ上がったところにある、清岡道之助旧邸の前。いわゆる野根山事件の中心人物、清岡道之助さん。維新史でも、野根山二十三士の殉難は、かなり悲劇的な結末で知られています。

清岡道之助さんは、龍馬より2歳上。武市半平太に強烈な影響を受け、幕末の土佐維新史を駆け抜けた人物。田野村の郷士の家に生まれ、当時としては先端の学問を治める中で、武市半平太らの思想に共鳴していく。

8月18日の政変後、土佐勤王党のメンバーが次々と捕えられ、武市半平太も投獄。武市らの解放を目指す安芸郡下の志士の頭領だったのが、清岡道之助。で、地域の同志や門弟たちを23名を糾合して野根山に屯集したのが1864年7月26日。京都へ向かい、局面打開を考えた訳ですな。これに驚いたのが、土佐藩庁。慌てて藩兵を派遣し、清岡ら23名は捕えられる。

高知の城下で意見を述べる機会もなく、ましてや武市らに面会も叶わず、一切の取り調べもないまま、奈半利河原で全員が斬首さた、という悲劇。

 

さて。

僕の曽祖父は、明治期から大正にかけて田野村役場に奉職し、長らく助役を務めておりました。八洲夫の父、文治さん。助役在任中の大正初年、病を得て高知の病院で治療を受けます。その際、病中日記を書いており、なかなか時代を写した興味深い資料となっているようなのであります。今、Jr.2号がその解読を進めておりますが。

で、その日記に、野根山二十三士殉難50年祭の準備に関する記事がたくさん書かれているのであります。そう。野根山二十三士の悲劇から50年。清岡家の菩提寺、福田寺に全員の墓碑が建てられたのもその年。文治日記によると、福田寺で法要が行われた後、海浜で盛大に式典が行われたとのこと。それは、「田野村開闢以来の盛事」だった、らしい。土陽新聞には、約2万余人が集まったと書かれています。すごい。田野に、2万人。安芸郡中よりatsumatta rasiine.

その式典、どうやら厳粛で政治的なではなく、仮装行列、運動会、花火、相撲、芸妓の手踊り、大宴会などなど、かなり楽しそうで華やかなイベントだったことが、文治日記からわかります。たまたま治療で高知に出てきている文治さん、そのイベントに使う物品の購入などで大忙し。近代の崩し字で、文体も古いので、Jr.2号でないと読めなかった日記から、当時の様子が臨場感をもって浮かびあがってきました。

今日は野根山二十三士ゆかりの場所も、訪問。暑いけど、有意義な夏の一日。


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