42年前の夏休み〔8140〕2025/07/29

2025年7月29日(火)晴れ
こないだ、僕の少年時代の夏休みのこと書いたけど、当時は今ほどは暑くなかったよね。高知市の、56年前の7月と今年の7月の気温比べたら一目瞭然。特に最低気温がね。厳しいね。
さて。56年前、50年前の夏休みのこと書いたので、今朝は1983年、42年前の夏休みのこと、書きます。
当時の僕は、東京で大学4年生。その春に中古で入手した自転車で、アパートから大学に通学してました。その自転車はこんなの。昔の新聞配達とかでよく見かけた、ナショナルの頑丈な頑丈な自転車。ブレーキがワイヤーではなくて鉄の棒で駆動するようになってた自転車。ナショナルのヘッドライトの、タイヤの回転による発電機がなかなか大きかった、あの自転車。
もちろん変速機とかがある筈もなかったけど、26インチタイヤは快適で、結構スピードも出ました。
なかなか気に入ったので、夏休み、その自転車で高知へ帰ろうと考えた訳です。で、普通に東海道を走って帰っても面白くない、などとも考えた訳です。色々と考えるねー。
東京中野区のアパートを出発した僕は、ひたすら甲州街道を走り、大垂水峠を越えて甲府を抜け、松本まで北上してから、幾度かこのにっこりでも書いてきた安房峠の難所を越えて飛騨高山へ。高山から富山へと下り、大学の友人の実家で鱒寿司とカツカレーご馳走になり、金沢では高校の友人に第七餃子に連れて行ってもらって、そして福井へ。敦賀から琵琶湖の西岸を南進し、京都、大阪。大阪南港から徳島へフェリーで渡り、徳島から室戸へ。最終宿泊地は室戸市の元というバス停だったのを覚えてます。そして、最終日は室戸から高知の実家へ。約10日だったと思います。1日平均100km以上走ってます。
あの自転車で、山越えで、1日100kmって、今考えると元気やねー。
途中、野宿でなかったのは、富山の友人んちと、金沢の友人んちと、安房峠途中の中の湯温泉。その他は、公園とか駅とか、山中の土管の中とかで野宿しながらの帰省。いやー、楽しかった。しかしまあ、今では考えられない、呑気な大学4年生だ。今は昔。
当時からいわゆるサイクリストはたくさん居たけど、僕のような自転車の人は、いない。なのですれ違うサイクリストたちが、サイクリスト同士の挨拶をしていいのかどうなのか迷っているのがおかしかったです。
大きくて頑丈な荷台に、自転車のタイヤチューブでリュックサックの荷物を縛りつけ、そこに昭文社の道路地図を挟み込む。雨が降ったらポンチョに、台湾で買うてきた傘を被るいでたち。
でも、スマホはもちろん、携帯電話もない時代の旅は、本当に面白かった。仕事しだすとそんな夏休みはもう無くなることがわかってたので、最後の「夏休み」を、そんな感じで楽しんだのでした。42年前の、夏休み。
写真は、今乗っている「緑の折り畳み号」。折り畳めるし軽いし7段変速。この橋は、そうやって自転車で帰ってきた当時できたばかりの鏡川大橋。
42年前の夏。高知でちょっとだけ過ごした後、その自転車でさんふらわあに乗って東京へ戻りました。