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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

ふたたび若宮ノ東遺跡〔7780〕2024/08/03

ふたたび若宮ノ東遺跡

2024年8月3日(土)晴れ!

このにっこりひまわりで、初めて若宮ノ東遺跡について詳しく取り上げたのは2018年6月のこと。もう、6年も前か。その際に既に、7世紀後半の役所、恐らくは郡衙の前身である評衙の遺跡ではないか、という考察が為されてました。一昨年には、評衙の穀物倉庫である「正倉」と断定された建物跡のことも、紹介してます。

そして。今日は、その若宮ノ東遺跡で、またまた現地説明会が開かれてるので行って来ました。高知新聞さんの記事には、こう。この数年間の調査研究で、どうやら長岡郡(評)の評衙遺跡であることは確定的となってきてるんですね。で、今回は、その遺構を構成する建物「脇殿」と、遺構を取り囲む柵列、そして門の跡が見つかったという発表。その場所は、ここ

この向こうへ伸びる柱列は、ここにあった施設(評衙)の西端に南北に延びる細長い建物(脇殿)の柱、らしい。その向こう、道路工事している先に、東西に大きな正殿があったことは、今までの発掘調査でわかってます。手前の右手、つまり東側には結構大きな門の柱跡。この大きな門を南から入ると、脇殿や柵列に囲まれた広い空間。その空間からは何も出土しなかったことから、そこは、何も置かない宗教的空間であった、儀式の場であった、という推測が為されているんだそう。なるほど。この写真の右側、テントが立てられておる界隈ね。

 

この評衙が置かれた時代は、7世紀後半とされてます。これは出土品の分析などからそう推察されておる訳で、そうだとすると、かなり重要なことがわかってくる。645年の大化の改新の後、中大兄皇子などを中心とする人たちが、かなり強引に、律令制度に則った中央集権国家を建設していこうとする。そして672年に壬申の乱があり、大海人皇子が天武天皇となって制度を完成させていく、そんな時代。

この地理院地図を見て一目瞭然の香長条里は、律令制度の根幹である班田収授法で租税を納めさせる為の、条里。班田収授法は、天武天皇の頃に制定されたとされ、本格的運用が始まるのは大宝律令が制定された701年から。そして、全国で条里制に則った区画整理が実施されたのは、奈良時代になってからというのが定説なのでした。つまり、ここに評衙がつくられた時代は、まだ香長条里ができていない、地方に中央の出先期間である役所が出来始めた、そんな時代だったのか。この建物の角度は真北から東へ12度~13度振ってて、まさに、香長条里と同じ角度。

この役所の東側から北へ、以前紹介した士島田遺跡を通る、広くて直線の官道がありました。その、律令制、中央集権国家を象徴する広くて直線の官道が、この評衙と同じ時期につくられる。その後、8世紀になって、その官道の角度に合わせるように、条里がつくられ、香長条里が生まれていった。そういうことか。

この場所に評衙がつくられたのは、弥生時代末期に大きな集落が形成されていたからでしょうか。竪穴式住居の数から、その当時の土佐では最大規模の集落があったと思われている、この界隈。土地条件図で見るとこうで、更新世段丘の先っぽの、地盤が硬くて水害に強いけど肥沃な田んぼに近い、そんな立地やね。

 

この評衙の遺跡は、全国的にも結構珍しい、7世紀の役所跡。1300年以上前の、天武天皇からの中央主権国家が成立していこうとする、そんな時代を感じさせてくれる、遺跡。

 

ある意味土佐の政治の中心の一つであったこの場所は、今後宅地となり、再び埋め戻され、ふたたび、悠久の眠りにつきます。


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