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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

東京高等工藝学校〔8073〕2025/05/23

東京高等工藝学校

2025年5月23日(金)曇り

そんな訳で、東京。人が多いねー。ここに住んでいる人たちに、ここで政策を決めている人たちには、人口が激減していく地方の切実な危機感みたいなの、わからんでしょうねー。今朝は山手線が止まったりしてたので、何やら駅は大混雑。東京で住むのって、大変だと思うけど。

幼少期から旧制中学卒業までを高知で、後免町で過ごした柳瀬嵩少年は、東京高等工藝学校へ進学して、何を感じたでしょうか。当時は地方もどんどんと人口が増えている時期なので、大都会東京は新しい文化のあふれる街として、新鮮で魅力的だったででしょうか。

昨夜は大森で飲んでました。大森山王小路。通称「地獄谷」。道路から数メートル下がった窪地のような場所に40軒ばかりの飲食店が密集して、昭和な雰囲気を漂わせています。3軒目のスナックのママさんの話によると、ここはかつて「青線」だったそう。なるほど。だから「地獄谷」なのか。狭いスナックの天井には折りたたみの梯子階段のカラクリが隠されており、「青線」だった頃の痕跡が残されていました。昭和やねー。ただ、その「地獄谷」も、数年うちに再開発で取り壊されてしまうとか。またひとつ、東京から「昭和」が消えてゆく。

 

で、泊まったホテルは田町。偶然なんですが、柳瀬嵩君が18歳から通った東京高等工藝学校は、この場所にっあったのでした。田町駅の東。「やなせたかしの生涯」によりますれば、当時のこの辺りは工業地帯で、運河には真っ黒な水。駅の西側には森永キャンディストアがあり、慶應義塾も近くて、ハイカラな雰囲気が漂っていたといいます。

その「森永キャンディストア」の場所には、1973年、森永プラザビルという超高層ビルが建って、森永乳業の本社がありました。若い頃、商用で行ったこと、あります。そのビルも今は役目を終え、今は解体真っ最中。この角には、ここが東京高等工藝学校であった説明版が立ち、向こうに解体中の森永プラザビル。嵩くんが通ったであろう森永キャンディストアがあったのは、あそこ。

東京工芸学校は、「あんぱん」でも表現されている通り、大正デモクラシー気風が残る自由な校風だったそうで、背広にソフト帽、虹色のネクタイという、当時としては非常に個性的で画期的な制服でした。「あんぱん」では、皆、その制服を着てるけど、実際は、ネクタイとかはその虹色ネクタイでなくても良かったそうで、とにかく「自由」だった訳だ。素敵な学校やねー。

そんな東京高等工芸学校も、嵩が卒業した1940年には詰襟の制服に変わったんだそう。そんな時代。

 

しかし、この場所で嵩が自由な青春を過ごしたことは、とてつもなく貴重な体験だったでしょうし、幸運でもあったかも知れません。ここに、嵩くんの青春がありました。


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