土電安芸線を走った電気機関車は〔8212〕2025/10/09

2025年10月9日(木)晴れ!
鉄ネタは続くよどこまでも。
ここまできたら。今日もやっちゃいましょう、鉄道ネタ。興味ない方にはゴメンナサイ。という訳で、ここはとさでん交通の後免町停留場。終点。その駅舎の北西、土佐くろしお鉄道後免町駅との間に立つ、この碑。そこに刻まれている内容については、今から丁度12年前にご紹介してます。昭和24年(1949年)に土電安芸線が電化された記念碑。電化できたのは、占領軍である米軍のアクセルソン中佐のお陰である、という碑ね。時の権力者には忖度しよう、という話だったのかどうだったのか。
ともかく、戦後間もなくの昭和24年に、たったの8ヶ月の工期で、安芸線の電化が完了した訳だ。頑張りました。それ以来、安芸からはりまや橋方面へ直通電車も走ることが可能になったのでした。そして、芸西村とかの園芸野菜を乗せた貨物列車も走ったんですねー。そう。最近マイブームの貨物列車で。
貨物列車を走らせるには機関車が必要。そんな訳で、土佐電鉄は電気機関車を走らせていました。高知を電気機関車が走った時代があったことは、あまり知られていません。見てみたかったねー、高知を走る電気機関車。
安芸線を走った電気機関車は、ED1001とED2001。こんな写真ページがありました。これに、少しのED1001とたくさんのED2001が掲載されてます。こんなのが走っておった訳だ。
昭和47年(1972年)頃まで貨物列車を安芸線で引っ張っていたED1001、ED2001ですが、引退後も、手結駅にしばらくそのまま置かれていたようですね。その頃の写真が、これ。もちろん今は残ってなくて、解体されてしまったのでありましょう。
ところが。僕は見つけました。いや、安芸線を走ったED2001を見つけた訳ではないけど、どうやらほとんど同じ型の電気機関車が静態保存されているのを、見つけました。
戦時中、宮城県の細倉鉱山から亜鉛鉱を輸送していた軽便鉄道であった栗原鉄道が、戦後になって電化。その際、中日本重工業株式会社と三菱電機によって開発された電気機関車が走りました。それがED18形。軌間762mmの軽便軌道を走る直流用電気機関車で、昭和25年に運用開始だ。
その後昭和30年に、栗原鉄道は1067mmの軌間に変更され、中日本重工業(その頃には真三菱重工業になっていた)で改軌工事が施され、形式もED20形に改称。つくられたのは3台。ED201、ED
土電安芸線を走ったED2001は、これ。どうでしょう。ほとんど、同じ。同じだ。製造は昭和26年で、中日本重工業株式会社製。安芸線は軌間1067mmなので、栗原鉄道よりも早く、同じモデルの1067mm軌間の電気機関車ED2001をつくっていたのでしょうか。
ともあれ、土電安芸線に導入された電気機関車は、栗原鉄道の電気機関車と同時期に製造され、高知まで運んできたものと想像できるのであります。
栗原電鉄では1983年にED202が、1987年にED203が廃車になってます。そしてED201も、1995年に除籍。栗原電鉄は「くりはら田園鉄道」になったけど、2007年に廃線。
ところがですね、その3台は、別々の場所で静態保存されています。これは、旧細倉マインパーク前に保管されているED202。そしてこれが、旧若柳駅に保管されているED203。
かつて、土電安芸線を走っていた電気機関車の面影を見てみたかったら、宮城県栗原市へ行けば良い。ということが、昨日調べてて判明したんですね。ちょっと、嬉しい。手掛かりは「中日本重工業」でした。
ところで。戦後すぐの昭和22年に東芝車輌が製造したED33という伊豆箱根鉄道の電気機関車が実際に走っている動画を、このYouTube31分20秒くらいから見ることが、できます。ED2001も、こんな感じで走ってたんでしょうねー、高知の海岸線を。
かつて、高知にも電気機関車が走っていました。