県都で最後にできた駅〔8281〕2025/12/17
2025年12月17日(水)晴れ
1976年(昭和51年)高知新聞社発行の「高知県百科事典」では、高知駅のことをこんな感じで記述しています。
「1924年(大正3年)11月建設。県都の中では全国で最後にできた駅。」
そう。全都道府県の県庁所在地で最後にできたのが高知駅。まだ土讃線は開通しておらず、須崎駅と高知駅の間が開通した際にできたのが高知駅。101年前。そして100年前、高知駅と土佐山田駅の間が開通したのでした。
「高知県百科事典」に「建設当時から昭和初期までは駅付近は水田の広がる田園地であった」とあるように、江ノ口川の北は長閑な長閑な田園地帯。そこに「駅」をつくったのは、市街地に鉄道を敷設することに反対があったから、と言います。煙害はもちろん、黄害もあったしね。黄害については以前にも書いたのでご参照ください。
同じ「高知県百科事典」には「昭和49年度の乗降客数は395万人」とあります。このページによると2022年の1日平均乗降客数は8756人で、365日を掛けると約320万人。やはり、少しづつ減ってきてます。これは、人口減少の影響もあるでしょう。高速道路や瀬戸大橋ができて車で本州方面へ行くのがお手軽になったし、飛行機の便も増えたし。明らかに県外との交流人口は増えてるけど、土讃線の利用客は減っている訳だ。
「高知県百科事典」には、貨物輸送のことも書かれています。
「主な移出貨物は生野菜、紙パルプ、鉱石、鉄鋼。移入貨物は肥料、米、飼料、食料工業品、繊維工業品などである。」
なるほど。当時主力だった貨車、ワムハチに乗せられていた貨物は、そういったものでした。近未来、鉄道貨物輸送が復活復権するとすれば、やはり移出には鮮魚を含めた生鮮食品が中心になると考えられるので、その際には貨物列車の定時性と高速性が求められますね。求めましょう。
この、高知駅の南にまっすぐ伸びる電車道。この道路は、1924年(大正13年)に高知駅が開業した際には存在しなかった道。高知駅とはりまや橋、そして桟橋を結ぶ道路と電車の建設が急務となり、1928年(昭和3年)春にまず道路建設が始まって秋に完成。はやいねー。そして11月には軌道敷設工事が始まって、翌1929年(昭和4年)7月に高知駅前電停が開業、この南へ伸びる道が「電車道」になりました。
当時の高知駅前電停は、その向こうの左、歩道橋の下にあって、歩道橋で渡らないと高知駅へは来れませんでした。駅前再開発で現在位置に高知駅前電停が移転したのは2004年。もう21年前のこと。ついこないだみたいな気がするけど。あの歩道橋の真ん中あたりには、あの下にあった電停ホームへ降りていく階段の痕跡が、残っています。この写真でも見えますねー。
