1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

取り壊されてゆく〔3679〕2013/05/12

取り壊されてゆく

2013年5月12日(日)晴れ!

良いお天気の日曜日。日曜市も、今日はたくさんのヒトで賑わうでしょうね。
ここは、その日曜市の南側。追手前小学校跡地。ここに、追手前小学校の前身ができたがは明治5年。その前はというと、もちろん広大な武家屋敷。幕末の絵図を見ると、山内主馬さんちになっちょります。この人物、ご先祖が山内可氏さんで、元々安東氏。お母さんが、山内一豊さんのお姉さん。つまり、一豊さんの甥になる訳です。で、一豊土佐入国と一緒にやって来て、宿毛に7000石を拝領し、代々、土佐藩の家老職をつとめてきた名家。

で、この一等地、代々の宿毛山内氏が邸宅を構えてきた場所。東側の一部は、村田さんという人物の家。ずうっと遡り、寛文9年(1669年)の絵図を見ると、百々伊織さんちになっちょりました。高知で百々さんと言えば、一豊さんが連れて来た、高知城の築城の総責任者、百々越前さんを思い出しますが、その係累でしょうか。越前さんちは越前町やったですが。ともかく、重要な家老さんたちが居住してきた一等地。
明治になって、この界隈に役所や学校などの公共の施設ができ、ここも学校となった訳です。

教育と言えば、幕末にここに屋敷を構えた山内主馬さん。彼は宿毛の領主で、普段は宿毛で生活。そして、明治初頭に活躍することになる岩村通俊を側役に登用したり、竹内綱を目付に抜擢したのも、この人物。で、宿毛に日新館という郷校をつくり、教育に力を入れたのも彼。宿毛から、偉大な人物がたくさん輩出されたのは、この、教育の基礎があったきとも言われます。それに深く関わった山内主馬さん。
竹内綱は吉田茂のお父さんですき、もし、この人物なかりせば、吉田茂の登場はなかったかも知れん、という妄想が暴走します。

そういった人物の屋敷跡に、成章学舎、そして追手筋小学校、第三尋常小学校、第三国民学校、追手前小学校となった学校ができて、たくさんの有為な人間を育てた、というのも、歴史の面白さかも知れません。

その小学校も、この3月でなくなりました。あとは図書館になります。願わくば、この素晴らしい図書館が、高知の有為な人間を育ててる礎(いしずえ)とならんことを。

この写真、かなり痛いですね。もう、こんなになってしまいました。どんどんと取り壊されて行く我が母校。一番痛い時期かも知れません。この後一旦更地になり、埋蔵文化財センターによる発掘調査となります。
この運動場の場所には、明治になってからも、大きな構築物が建てられたことはありません。つまり、大きな基礎工事等で掘られたことがない。つまり、昔のままの状態で残されちゅうということですき、ひょっとしたら面白いものが出て来るかも知れません。こじゃんと期待しちょります。

古代、ここは浦戸湾の底で、中世になって干拓が進み、開発され、街が形成されていきました。そんな時代の痕跡が、この運動場の下に眠っちゅう可能性は、かなり高いがやないろうかと思いよります。
この写真は痛いですが、発掘には期待しましょう。


←前日の日記2013年05月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter