神奈地祇神社さんと物部氏〔3837〕2013/10/17
2013年10月17日(木)快晴
秋晴れ。めっきり涼しゅうなりました。夜明け前の空には満天の星。空気が澄んで、星がこじゃんとキレイに見える季節。
しかし、伊豆大島、すごい被害になっちゅうようです。大自然の力。心よりお見舞い申し上げます。
昨日、津野親忠さんゆかりの津野神社をご紹介しました。あの辺、元は全部香美郡下ながですが、今は香美市と南国市の境界になります。津野神社のしゅっと南は南国市。津野神社自体は香美市。
行ってみるとわかりますが、あの界隈、実に神社の森が多い。お寺さんも。古くから人々が多く住み、信仰の篤い土地であったことがよくわかります。
昨日の津野神社の南東には福田神社。その南東へ行くと、以前にもご紹介したことのある川原神社。ずうっと南へ下れば、これも以前ご紹介した立田神社。
小さな祠ではなく、立派な社を構えた神社だけでも、このようにあちこち。で、津野神社のしゅっと北西には、この、神奈地祇(かなじぎ)神社さんが鎮座ましまします。
昨日来たときもそうでしたが、今朝も、おばちゃんが2人、熱心に境内を掃除して下さりよりました。
写真右端の石柱には、紀元千五百二十六年という年号が見えます。紀元1526年と言えば、西暦660年。貞観8年。そう。この神社、「三代実録」に、貞観八年八月七日、「授土左国(中略)正六位上神奈地祇神従五位下」とある神社ではないか、とされちょります。土佐の国の、神奈地祇神を、正六位上から従五位下に昇進させる、というお達し。
明治維新までは、この神社、三所大将軍と呼ばれよったそうです。御祭神は事代主命とも加奈地姫とも言われるそうで、はっきりしちょりません。このしゅっと南が金地村で、「かねち」で相通ずるところがあります。
神様の系図はこじゃんとややこしいのでありますが、ここの神様については色んな説が絡み合うので、ちくとご容赦。
ひまわり乳業があるのは南国市物部。その昔、物部氏の部民が住んだとされる、物部氏ゆかりの土地。いつもの上岡八幡宮さんも、今は八幡様で応神天皇ですが、石舟伝説が残るように、物部氏の匂いがかなりするお宮さん。
物部氏の祖とされるニギハヤヒ命の三世の孫に、天忍男命さんがおります。その奥さんは、賀奈良知姫。賀奈知姫。そして加奈地姫で、神奈地祇神社、というつながりが見いだせる、という話。
つまり、物部氏の勢力が強かった地域に、物部氏に関係の深い加奈地姫が祀られちゅうのは、自然である、と。なるほど。
熊野信仰などが土佐でも盛んになってきた時代に、三所大将軍と呼ばれるようになたがでしょうか。
すぐ東には霊厳寺。後に孝山寺で、今は荒れ果てた観音堂と古い墓所が残るばかり。
神社やお寺さんだけでなく、小さな祠も、この界隈にはたくさんあります。古い、神様があふれる土地。