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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

絶海池、絶海中津、中津〔3863〕2013/11/12

絶海池、絶海中津、中津

2013年11月12日(火)快晴!

気温は10℃をかなり下回り、冷やい朝になりました。
昨夜は久々に走って帰宅。長袖のTシャツで走りましたが、ちょっと信号待ちしよったら寒いくらい。こじゃんと走りやすい気候になりました。そんな訳で昨夜は結構ビュンビュン。なんとなく興が乗ってくると、調子に乗ってしまいます。まあ、心地良い帰宅RUN13km。

で、今朝は自転車出勤。愛車白い折り畳み号は、今日も快調。昨日走って帰ったルートを、逆に走ってきました。

ここは絶海池。
五台山の北側に、浦戸湾から仕切られた池がありまして、絶海池と呼ばれます。たるみいけ。読み方は、ちくと難しい。たるみいけ。絶海池の南岸から、北東の方向を撮影しました。高須の街灯りが池に映ってなかなか美しい。
ここが絶海池と呼ばれるようになったのは、このしゅっと南、五台山の海際で、絶海中津さんが座禅、修行をしたき、とされちょります。絶海中津さんは、ぜっかいちゅうしんさん。読み方が違います。

絶海中津さんは、ご承知の通り、津野荘の豪族津野氏に生まれ、京に上って夢窓国師の弟子となり、足利義満にも重用された室町時代の禅僧。同郷の義堂周信さんと並び称され、五山文学の双璧とも呼ばれた、というのは、土佐の歴史の基礎知識。
さて。
で、この南西の五台山麓、土佐神社離宮の裏手に、絶海和尚座禅の岩、というのがあります。当時は海辺の岩。眼の前は、浦戸湾。五台山は島で、北側に港があったとされます。

往時、浦戸湾は今よりずっと広大で、五台山も葛島も田辺島も竹島も洞ヶ島も比島も、全部島であったことはビッシリギッチリ書いてきました。で、湾内の主要港が、大津、小津、そして中津。中津は、一般的には、現在の愛宕山南端とされちょりますが、ここ、五台山の北側も、中津と呼ばれた、という話もあります。
で、絶海中津さんの法諱「中津」は、そっから取られた、ということが、藩政期、徳永千規さんの「天満社宮居考」に書かれちゅう、という話を以前にも書いちょります。

つまり。絶海中津さんの法諱「中津」は、五台山を由来とし、絶海池の「絶海」は、絶海中津さんの道号に由来する、というややこしいお話。
ここで思うのは、絶海という道号。最初は要関という道号やったのを、絶海に改めちょります。これは、当時、五台山の北側が絶海と呼ばれよったので、それを道号にした、という可能性は考えられんでしょうか。逆に。とすれば、絶海中津さんは、道号の「絶海」も法諱の「中津」も、両方、五台山が由来ということになるがですが。朝っぱらからそんな妄想が膨らみます。

ちなみに、五台山という名称は、奈良時代の僧、行基さんが、聖武天皇の意を受けて、中国の五台山に似た山を探したところ、土佐、浦戸湾の大島が似いちゅう、ということで五台山と名付けた、とされます。
地元では大島と呼ぶがが一般的であっても、古代から五台山とも呼ばれよったことになります。そこに、夢窓国師がやってきて吸江庵を結び、絶海中津さんが修行した訳ですな。古代からの仏教の山。

その五台山に、トンネルが掘られ、高須と、池の高知医療センター、高知新港がつながっちょります。写真右端の灯りは、五台山トンネルにつながる、絶海池に架かる橋。
浅いので、干潟もある絶海池には、今、たくさんの水鳥が飛来してきて、賑やかな風情。


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