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野市の絵馬の物語〔4080〕2014/06/17

野市の絵馬の物語

2014年6月17日(火)曇り

曇っちょりますが降りません。今年の梅雨。高知県中部地方は、雨がメッソ降らん状態が続きよります。香川へ行きますと、麦刈りもすっかり終わり、その後に田植え。田植え直後の小さい苗が植わった田んぼが、今、讃岐の平野でたくさん見られます。二毛作。

さて。先日、どっかの記事で北垣国道さんのことが書かれちゅうがを読みました。明治12年から高知県令もつとめた能吏で、明治14年から25年まで京都府知事。その間、あの、すさまじい土木工事である琵琶湖疎水を完成させました。以前、南禅寺の琵琶湖疎水の水道橋もご紹介したことがあります。
で、蹴上のところに琵琶湖疎水の記念館のようなものがあり、そこで、見ました。河田小龍さんが描いた絵。北垣国道知事に依頼され、明治22年から1年かけて、琵琶湖疎水の工事の様子を写生したもの。この人物、ホントに色んな分野で活躍しちょりますね。
北垣国道さんの記事で、そんな話を思い出したので、今朝は行ってきました。野市の大谷。大谷神社さん。

こないだもご紹介したように、大谷神社さんの拝殿には、川田維鶴(かわだこれたず)の落款が押された絵馬が奉納されちゅうがです。河田小龍さんの本名、川田維鶴。30才の頃に描かれたにかあらん、ということで、ジョン万次郎さんからアメリカ漂流と生活、文化文明について聞き書きした「漂巽紀略」を書いた直後くらいの作品でしょうか。
維新の志士に国際状勢の知識を与え、多大な影響を与えた河田小龍さん。川田維鶴さん。
その人物が「川田維鶴」の名前で描いた絵馬、というのは、こじゃんと貴重なもの。その絵馬を撮影してみよう、とやって来た訳です。

で、拝殿の格子の隙間から、カメラを暗い拝殿内に向け、シャッターを開放して撮影したのがこの写真。帰ってきて、じっくり見てみました。
川田維鶴の落款がある絵馬の題材は「一の谷」。さて。どれでしょうか。
左上の大きな絵馬。これかも知れません。なんとなく、一の谷の名場面、平敦盛と熊谷直実の対決みたいにも見えます。
一の谷で一番乗りを果たした熊谷直実。沖へ舟で逃げる平氏武者に、「返せ!」と呼びかける。と、その武者は、陸地へ帰って来て熊谷直実と組み合いました。平氏武者を組み伏せた歴戦の勇者直実は、首を取ろうとしますが、その平家武者が薄化粧をした高貴な雰囲気のある若武者であることに気付きます。若武者は、平経盛の息子、敦盛と名乗りました。なんと、自分の息子と同じ16才。
逃してやりたかったが、そうもいかずに打ち取った直実さん。
その後、武家の無情を悟って高野山に出家した、という話。一の谷の名場面。

そうそう、敦盛と言えば信長。好んで舞うたと言われる「敦盛」の、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり・・・」と続く台詞は、その熊谷直実が、出家して世をはかなんで吐露した言葉。余談ですが。

さて。いや、写真はボケちょりまして、これがそうなのかどうなのかは判りません。社殿内には、たくさんの絵馬が奉納されちょりますき。

野市で絵馬、と言えば、野市新宮の熊野神社に掲げられちゅう絵馬を思い出します。新宮馬之助さんが描いた絵馬。龍馬の同志として、海援隊で活躍した新宮馬之助さん。野市の百姓の倅として生まれた馬之助さんは、絵の才能があり、16才の頃に河田小龍さんに絵の弟子として入門。そこから龍馬に紹介され、維新の志士としての活躍を始める訳です。
新宮馬之助さんは天保7年生れ。1836年。小龍さんより12才年下。
馬之助16才と言えば、小龍さん28才。熊野神社に馬之助の絵馬が奉納されたのが馬之助16才であるとすると、この大谷神社の川田維鶴、つまり河田小龍の絵馬はそのちょっと後のご寄進、ということになります。同じ野市の、三宝山の麓の神社。

これは、何か関係があるのかも知れません。弟子が絵馬を奉納したお宮さんがあり、そんなに遠くないお宮さんに師匠が絵馬を描いて奉納する。ひょっとしたら、師匠と弟子が一緒に絵馬を完成させ、弟子は故郷の神社に、師匠はその近所のお宮さんに、それぞれ奉納することにした、という妄想も暴走してしまいます。さて、真相やいかに。

ともあれ、一度、どの絵馬に川田維鶴さんの落款があるのか、確認しちょかんといけません。


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