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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

雨の豊後、戸次川〔4433〕2015/06/05

雨の豊後、戸次川

2015年6月5日(金)雨

そんな訳で今朝は大分。早朝から降り始めた雨が、今はしっかりと降っております。
どこを走って来ようかと考えよって、自分の車で来ちゅうことを思い出しました。そうだ。自転車を積んじゅう。小生の車には、機動力を発揮するためにいつも「黒い折りたたみ号」が積んぢゃあるがです。ので、今朝はちくと遠出をしてみることにしました。戸次川。

以前に一度だけ行ったことのある、豊後戸次川。へつぎがわ、と読みます。高知の皆さんはご存知ですよね。これは知っちょかんといけません。豊臣秀吉に従うこよになった長宗我部元親さんが、秀吉の命で九州、島津攻めに参加した「戸次川の戦い」。
大友氏などを支援して島津を攻めようとした戦い。しかし、その軍勢は、長宗我部、十河、それに仙石秀久の連合軍で、軍監が仙石秀久。こないだうちまで敵同士で、しかも長宗我部にやられっぱなしであった十河や仙谷。うまく連携が取れる訳もなく、戦上手の元親の言うことを聞かない仙谷のバカが、敵のおびき出し作戦に引っかかって、長宗我部軍は壊滅、元親の嫡男信親はじめ、たくさんの土佐の武人が戦死した、悲劇の戦い。
悲劇のきっかけをつくった張本人、仙石秀久は、すごいスピードで讃岐まですたこら逃げ去った、という戸次川の戦い。

片道、自転車で20km弱。途中から、戸次川の戦いを偲ぶように雨が降り始めました。
戸次川の合戦は、天正14年12月。冬季。仙谷は、反対する元親を押し切って大野川を渡りました。今日は大野川沿いの土手上を自転車で走りましたが、なかなか水量の多い川。これを冬季渡河した訳だ。
そして、敵の策略通り、夥しい敵兵に囲まれて幾多の土佐兵が討ち死にしたのが、この界隈だとわれます。

ここに、お地蔵さんと鎮魂碑。鎮魂碑は、長宗我部家の子孫の皆さんや有志によって建てられました。お地蔵さんも、有志一同により、信親はじめ土州将士の冥福と永劫の安泰を祈念するために設けられたそうです。

信親の墓所は、向こうにみえる丘「山崎台地」の上にあります。台地を自転車で駆け上がって、お参りしてきました。

この合戦、地元の大友氏を援護にやってきた長宗我部軍等が、無謀な作戦によって悲劇を迎えた合戦。合戦の後、この前の大野川が赤く染まっていた、と言います。
戦死者は、地元の人々によって葬られ、そして大切にされてきたそうです。毎年「大野川合戦まつり」というのが開催され、戸次川合戦のことを語り継いでいっておられます。
高知からも、毎年、ゆかりの人々が訪れて、交流を深めておるとも聞きます。

しかしアレですね。龍馬龍馬、と騒ぐのに、戸次川を知らんかったりする土佐人、多くないでしょうか。長宗我部信親については、土佐よりも、ここ、豊後戸次川の方がよく知られちょったりするのではないでしょうか。
そう言えば、天誅組の吉村虎太郎。天誅組が挙兵し、幕軍に制圧された奈良県の東吉野村には「東吉野村天誅組顕彰会」というのがございます。虎太郎をはじめ、天誅組には多くの土佐人が関わっちょりますが、土佐でよりも、奈良県東吉野村での方が、大切にされよったりするのではないか。
それぢゃあイカんのではないか、と考えてしまいます。

そんな、雨の大分、戸次川。


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