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ツバメと燕と弥生時代〔4459〕2015/07/01

ツバメと燕と弥生時代

2015年7月1日(水)雨

よく降ります。今日から7月。願わくば、梅雨前線がこのまま北上してくれんことを。暑い夏がやってくることを、心から願う7月の始まり。

さて。
こないだ、会社のFBページにも上がっちょりましたが、弊社の本社屋の玄関真上に燕の巣ができちゅうのでありますね。何故、こんなど真ん中に、と思うような場所。で、親ツバメがしばらく卵を温めておったようで、それが孵化しました。今は、お母さん、セッセセッセと餌を運んできております。今朝、椅子を重ね、その上に乗って、子供たちの様子を撮影してみました。いや〜、お母さんからの餌を待ちわびる姿。文字通り、ホントに文字通り、首を長くして待つ姿がいじらしい。可愛いっす。

ここまで、お母さんがセッセセッセと餌を運ぶ、と書いてきて、気になって調べてみました。違いましたね。餌運びは、ツガイでやりゆそうです。夫婦で、仲良く、子供たちに餌運び。お父さんも頑張っておりました。良かった良かった。

ツバメ。燕。
燕と言えば、昔、春秋戦国時代の中国に燕という国がありました。その始祖は、周の建国の元勲、召公せき(大の字の両脇に百という字)と言いますき、古い。紀元前1100年頃ですきんね。日本は縄文時代。今の北京界隈を中心とした国なので、当時の中国全体で言えば一番の北方。燕と言えば寒い国、でありました。
中原から遠いこともあって、春秋時代は割合に地味な存在で、しかくしぶとく長く存在し続けてきた燕。

戦国時代になり、失政もあって、一時的に南側の斉(田斉)に滅ぼされてしまう。太子の平が即位して、なんとか復活した燕。
その平は、後に昭王と呼ばれた名君となるんですな。有名な逸話があります。
昭王、人材の重要性を認識しちょりました。で、家臣の郭隗という人物に、どうやったら優秀な人材を集めれるかを問います。郭隗くんの答えは、「まず私を優遇しとおせ。ほいたら、郭隗みたいながでも優遇されるがやったら、自分ならもっと使うてもらえる、と言うて、優秀なががどっしこ集まってくるぜよ。」と言うたとか。
そしてホントに優秀な人材が集まり、南側の宿敵にして強国、斉のほとんどを攻略するほどの国になってしまうんですね、これが。
ホントかよ。

「まず隗より始めよ」は、こっから来ちゅう訳だ。話が上手すぎる気もせんでもないが。
で、その際にやって来た人材の中に楽毅がおったんですね。

宮城谷昌光さんの小説にもなった楽毅。話は逸れますが、宮城谷昌光の小説、結構好きです。特に初期の「天空の舟」とか「沈黙の王」とか「夏姫春秋」とか、好きですね〜。

話は楽毅。楽毅将軍の大活躍で南の斉の領土にも攻め込み、その版図は、現在の河北省、遼寧省、山東半島、そして朝鮮半島まで広がったと言います。

しかし、昭王が亡くなって息子の恵王になると、楽毅は疑われ始めたので趙へと走る。そして勢力を弱め、斉に、山東半島を取り返されてしまったのでありました。

人材の大切さ。それを教えてくれる、燕の昭王。
この、燕が強くなって斉とドンパチやりよった時代は、いつ頃か。
楽毅将軍が連合軍をまとめて斉に攻め込んだのが紀元前285年頃。なるほど。日本は弥生時代前期。渡来人が増え、稲作文化が広がり始めておった、そんな時代。
その頃、朝鮮半島へも燕が攻め込んでおった訳だ。

そんな戦乱を逃れた難民が、朝鮮半島から大量に日本へ逃げ込み、日本の稲作文化を担うていった、という説は、結構説得力があります。少なくとも、そんなボートピープルがたくさん日本へやって来たのは間違いないでしょうね〜。
燕が人材を登用し、日本に弥生文化が栄えた。風が吹いたら桶屋が儲かるのであります。


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