121歳の誕生日〔8052〕2025/05/02

2025年5月2日(金)雨のち晴れ
昨夜は降ったねー。たまには雨も必要やけど、なかなかガイに降ったようです。今日は朝のうちに雨も上がって気温も上がって行く予報。さあ、もう、夏だ。
121年前の今頃、日露戦争が始まっており、4月30日から5月1日に行われたのが鴨緑江会戦。広瀬中佐が軍神となった旅順港閉塞作戦(失敗)は済んでいるけど、二百三高地や日本海海戦は、まだだいぶ先。そんな初夏の5月2日、高知の街を電車が走ったのでした。
1904年(明治37年)5月2日、土佐電気鉄道の本町線(堀詰ー乗出)と潮江線(梅ノ辻ー桟橋)が開業し、高知の街を初めて「電車」が走りました。まだ本町線と潮江線がつながっておりません。まあ、暫定開業みたいなもんでしょうかね。堀詰とグランド通りの間、電車に乗る人って多かったんでしょうかね。高知港の桟橋も、まだできてません。高知港桟橋ができたのは、同年1904年10月のこと。
それはともかく、潮江橋で鏡川を渡り、本町線と潮江線がつながったのは、2年後の1906年4月6日。
堀詰ー梅ノ辻が開業して、「潮江線」が「桟橋線」と改称、桟橋と本町線がつながったのでした。これで、船舶輸送されてきた製紙原料を伊野へ輸送したりする礎が、築かれたのでした。以前にも書いたけど、その頃の路線は、桟橋から北上してきて潮江橋を渡り、すぐに左折して緩い坂を下り、右折して北上、堀詰電停につながる、というルート。はりまや橋界隈の住民の反対運動があった、と、横山隆一先生も書いておられます。
潮江橋からまっすぐはりまや橋電停へ向かうルートになったのは1928年のことなので、22年間は、そんなクネクネルートだった訳で、結構長い期間やね。このにっこりひまわりを書き始めて今までが22年なので、そんな長い間、はりまや橋は電車の結節点ではなかった訳だ。
その間、街はどのように変わっただろうか。電車の開通により、かなり人の流れが変わったことは想像できます。電車が通ったら「街がさびれる」と反対があったエリアは、その、電車が通らなかった22年間でどう変化したんでしょうかね。とても気になります。
写真は、以前制作したペーパークラフトの電車。不器用な僕の、精一杯。はりまや橋電停と、600形電車。高知の街を電車が走り始めて、今日で121年。これからも高知の街のシンボルとして、そして来るべき時代の大切な公共交通として、走り続けて欲しい。121年後も走ってくれていたら嬉しいねー。