1本からお届けします!お電話でのご注文・お問い合わせ

フリーダイヤル:0120-77-6245

今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

潮江天満宮、大山祇神社と筆山の関係〔4468〕2015/07/10

潮江天満宮、大山祇神社と筆山の関係

2015年7月10日(金)あづい〜

南に3つも台風がおる影響でしょうかね。蒸せます。
昨日は、中村から会社へ車でモンた後、また車で岡山に行っちょりました。で、仕事を済ませて高知へ戻り、夜は宴会。そして。
今朝は4時に起き出して出社し、ふた仕事くらい片付けちょいてから、朝7時高知駅発の特急に乗っちょります。その車内で書く、今朝のにっこり。また、今朝は岡山へ行きゆうのでありますね。昨日の午後4時には岡山におったのに、また、今朝10時に岡山。いっちきちもんちきち。
で、岡山で一仕事しちょいてお昼には広島県の福山。午後3時には香川県の高松へ行かんといかんなっちょって、夜は高知。ああ。暑い。

今朝4時過ぎ、家を出た時分には、まだ身体に絡みつくような霧雨が降っておりました。しかし、夜明けとともに青空が広がり、強烈な日差しが、たっぷり水分を含んだ街をギラギラと照らしつけて、もう、蒸せるのなんの。暑い1日になりそうです。
そんな高知を後にして、今は特急しまんとの車内。坂出でマリンライナーに乗り換えて岡山県の早島へと向かいます。

さて。
高知駅のピロティのところに、こんなのがあります。明治11年に、かの河田小龍さんが描いた高知市街図。その市街図の上に、現在の地図を重ね合わせたもの。なかなかわかり易くて秀逸ですな。

一番下端に、筆山が見えます。よくご覧になってみて下さい。こないだもご紹介したように、「筆鉾山」と書かれちょります。筆山は、この時期、筆鉾山と呼ばれたりしよったのか。真如寺山とも呼ばれよったのは、この筆山の北麓に、山内家菩提寺の真如寺さんがあったから。
しかしこの地図、山裾の、現在もある要法寺さんは描かれちょりますが、その北西にあるはずの真如寺が、ない。廃仏毀釈運動の影響なんでしょうかね。

現在、梅ノ辻から西進してきた道路は、要法寺さんの北を通り、天満宮さんの南を通って河ノ瀬方面へとつながっております。
この地図では、当時は、鏡川の土手沿いの道が河ノ瀬方面へつながり、天満宮さんも筆山にくっついちゅうように見えます。

現在の潮江天満宮さんの本殿の裏手、つまり西側には、大山祇神社さんが鎮座まします小山があります。独立した小山。
しかし、この絵図を見ると、その小山は、筆山にひっついちゅう。天満宮の左手に筆山からニョキっと突き出しちゅうように見えます。なるほど。
大山祇神社の鎮座まします小山は、元々、筆山から伸びてくる尾根の先っぽであったのかも知れない。で、道路を東西に通す際に、切り崩されたのか?
確かに、神田川の上流から取水した潮江用水は、大山祇神社の小山の北側を通り、天満宮の境内を突き抜けて流れておる。最短ルートを採るならば、現在の東西の道路のルートを通っちゅうはずやのに。小山の北側を通しちゅうということは、かつては小山が筆山とつながっちょったきではないか。

この絵図を眺めておったら、そんなことに気付きました。
では、いつ頃切り崩されたのか。今日は手元に資料がないので、調べようがない。ので、今度調べてみましょう。
潮江天満宮さんは、山内氏が土佐へ入国してくるまで、現在の真如寺さんの辺りに在ったと言います。山内氏によって真如寺さんが創られた際、西側の現在地に遷座されました。その本殿は、筆山から突き出した尾根を背にして建てられたのか。なるほど。天満宮は筆山の麓にくっついて在り、筆山とともに在った、そんな風景。
迂闊にも、今迄、そんな風景を想像したことありませんでした。まだまだ知らないことだらけの、高知の風景。


←前日の日記2015年07月の日記翌日の日記→

HOME今日のにっこりひまわり

日記検索

年月別過去ログ

年のクリックで月を表示・非表示します。月をクリックすると記事一覧を表示します。

2025年

2024年

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

サイトマップ

facebook  instagram  twitter