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松山平野〔4614〕2015/12/03

松山平野

2015年12月3日(木)晴れたり曇ったり

今朝は、松山へ行っちょりました。とは言え、11時半にお客様が来社されるので、それまでに高知へモンて来ましたが。
高知は、昨夜、結構降りました。飲みに出ちょって、帰宅したのは夜の11時前でしたが、その時間帯はかなりガイにザーザー降りよりました。今朝、夜明けとともに晴れ始め、高知市内には青空も広がるようになりました。
そんな、朝日輝く高知を後にして四国山地を北側へ越えてみましたら。雨。瀬戸内は、まだ、雨が降っておりました。

松山自動車道は、ご存知の通り、中央構造線に沿うように走っております。日本でも最大級の断層、中央構造線。
佐田岬半島の地形も中央構造線によるものなので、伊方の原発については、その危険性が取りざたされたりする訳ですな。

中央構造線の北側は領家変性帯。花崗岩などでできた地層で、庵治石とか大島石とかが算出するのは、その地層のお陰さんであります。南側は三波川変性帯。
領家変性帯は、ジュラ紀に付加帯としてできたものが白亜紀に高温低圧変性を受けたもの、と説明されちょります。恐竜が跋扈する時代にできた地層。
中央構造線は活断層。これからも大きな地震を発生させるかも知れない断層でございます。

写真は、松山インターの少し手前。東側。そこを走りながら、北の方角を撮影してみました。うまく、松山城のある山、勝山が撮影できちょります。てっぺんに何やら構築物のある山。あの構築物が松山城。

高知の城下町は、川に挟まれた湿地帯につくられました。海抜もそんなに高くなく、県庁前の標高は約2m。南海地震の際には、もちろん、海没する高さ。しかも、地盤は沈下するので、更に低くなり、長期浸水は免れない。そんな場所につくられたのが、高知の城下町。
では、松山の城下町はどうなのか。
と、思いまして、地理院地図で見てみました。なるほど。
松山城の下、愛媛県庁のある界隈は、標高が24mあります。そんなに高いのか。松山平野は、古くからの扇状地として形成されて、結構固めの地盤のしっかりした土地であると言えそうだ。
高知の市街地は、扇状地の扇端から外側、三角州の上にあります。なので、地盤も柔らかく、10m〜30m下の洪積層まで杭を打ち込まんと、高いビルは建てられません。

松山の市街地がそんなに高い標高とは、知らんかったです。
市街地の南、松山インターがある界隈の標高も、県庁前と同じくらいの24m。そっから北西へ行くと、伊豫豆比古命神社さんが鎮座。通称椿さん。椿神社として、松山市民に一番親しみの深い神社。
その椿さんの境内社に奏者社があります。
昔、伊豫豆比古命と伊豫豆比売命が舟山に船を寄せた際、巌頭に纜を繋いで迎えた先住の神様が、潮鳴栲綱翁神。その神様をお祀りするのが奏者社。
そんな話を知っちょったので、椿さんの辺りまで、かつては海であったのかと思いよりました。しかし、椿さんの鎮座まします界隈の標高は20m。

これは、もう、神話が形成される古い時期にしても、陸地だ。海は遠い。
今から6000年位前の縄文海進の時代でも、海水面は今より数メートル高いだけなので、やっぱし陸地だ。何故、そんな椿さんに、船でやって来た伝説があるのか、調べてみんと納得できませんな。

椿さんや愛媛県庁の界隈が海だったのは、ヴュルム氷期の前の間氷期。10万年くらい前になるでしょうか。まだ、人類は、アフリカを出発しちょりません。なので、たぶん、神様も船でやって来ることはなかったと思います。

最近は、どこへ行っても、その土地の昔の風景に思いをいたすことが増えました。これはこれで、楽しいです。ホントです。


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