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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

中世の城、鎌島、愛宕商店街〔6858〕2022/01/24

中世の城、鎌島、愛宕商店街

2022年1月24日(月)曇りのち晴れ

昨日今日と、朝はそんなに寒くない。もうすぐ二月。もう、そんな季節になりました。

昨日、高知県立歴史民俗資料館で、「考古資料から読み解く長宗我部氏」という講演をやってました。講師は、高知大学准教授の宮里修先生。城郭、特に、朝倉城址の発掘が専門の先生で、中世から戦国初期、後期への時代の流れの中で、城郭がどのように変遷し、その役割もどのように変遷してきたのか、などなど、岡豊城や朝倉城などの配置図、縄張り図を参考に、解説してくれました。いやー、勉強になった。アッという間の1時間半。

コロナということで、座席はかなり間を置いており、かなりの厳戒態勢での講演やったけど、席は全部埋まってました。善き哉善き哉。

 

南北朝期。木塚城は、尾根の先っぽの平地に平野を展望する、自然地形をそのまま利用した見張台のような城。

その後、芳原城などの、詰の段の一段下のニノ段が発達した時代。盛土で、わざわざ広いスペースを作っているケースもあり、詰の段には見張櫓みたいなもの以外の構築物は、ない。そんな城が、土佐にもたくさん。

そして朝倉城や楠目城に至って、見晴らし台の詰の段の下に、いくつかの独立した、土塁で囲まれたスペースが出現し、その流れで岡豊城が築かれる。ざっくり、そんな感じね。

浦戸城は、そんな流れで言えばかなり異質で、城下町もいかにも狭い。なので、本格的な城郭を築こうとした訳ではなく、秀吉の朝鮮出兵に際しての、前線基地的な城であったという解釈が、当たっているのではないか。

 

配布された資料に、こんな、「中世山城の位置」という地図がありました。中世の土佐中原には、たくさんの城というか、砦があったのでした。その中に「鎌島」があるではないか。おう。鎌島。こないだ、明治期の地図に「鎌嶋」と記載があって、割と最近まで山が存在し、今は大型家電量販店とかになって面影もないのをご紹介した、鎌島。あそこも、中世、地方豪族の砦があったのか。当時は、高台というのは重要だったんでしょう。見晴らして、見張る。

時代の流れの中で、地形に見合った構築物がつくられ、歴史をつくり、そして役割を終えてゆく。それこそ、アッと言う間に。

 

この中世の地図を見ると、現在の高知の市街地には、国沢城以外に城らしきものは何もない。湿地帯ですきんね。国沢城は、現在の堺町辺りに、鏡川の蛇行がつくった小山の上にあったと思われます。埼玉の忍城みたいにね。中世の城の文脈で言えば、恐らくは、湿地帯の中の見晴らしの良い小山の上。

 

風景は変わり、社会も変わり、人々は頑張って暮らしてゆく。

今朝の新聞に愛宕商店街のアーケードが消える話が書かれてたけど、地方都市の、周辺部の商店街は、なかなか難しい時代になりました。これからもどんどん変わってゆく。良い街にするには、「変わってゆく」のを「変えていく」にしていきたいね。昨日書いた、公共交通のあり様も、「変えていく」にしたいものの一つ。中世から近現代、そして、今。未来。

 

などと妄想しているうちに、夜が明けてきました。月曜日。今週も張り切って頑張って仕事仕事!


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