石積みには興味が尽きない〔8063〕2025/05/13

2025年5月13日(火)晴れ!
良いお天気。暑くなりそうやね。ここは追手筋。
昨夜、家から自転車でお街へ出たので、自転車を駐輪場に置いて帰りました。自転車も、お酒を飲んだら乗られません。法令遵守。法令遵守もあるけど、実際危ないですきんね。この年齢で飲んで自転車に乗ると、転倒などの恐れが十分あります。せられません。乗られません。乗られん乗られん言うたろう〜♪。で、今朝、車で駐輪場へ自転車を取りに行ってきた、という訳です。
写真は、追手筋から撮影した高知城天守。朝日を浴びて美しいねー。チャート野面積みの石垣も、見事。
ところで。高知城は、土佐へ入国したばかりの山内一豊さんが1601年から建設を始めて1611年に完成した平山城。もちろん家康の許しを得て築城した訳で、その構造などには家康の影響を受けていますよね。
で、三ノ丸の石垣に使われているチャートの石は、浦戸城が廃城になったので、ここまで運んできて再利用したもの、という話もありました。あります。さて、どうなんだろうか。
そもそも浦戸城の場所は仏像構造線の南で四万十帯。北側ほどにチャートは豊富ではありません。わざわざ運んでくる意味があったのか。などと僕は思っていた訳ですね。
で、一昨日の土佐史談会総会懇親会で、城郭研究の第一人者、松田先生と話してまして、松田先生もその説には懐疑的であることを知ったのでした。松田先生は、浦戸城、ひょっとしたら元和の時代まで、高知城の支城として残されていたのではないか、という説を唱えておられます。これもまた、発掘研究が待たれるところではあるけど、もしそうなら、営業中のお城から石垣を持ってくる訳には参らんので、「運んできた説」は崩れ去ってしまうことになる訳だ。さて。真相やいかに。
昨日、浦戸城の石積みは、秀吉の強い影響下に構築された話、書きました。現代のような交通や情報が瞬時に行き交う社会ではないのに、権力の行使、誇示といったものは、かなり強力に行われていなようです。
秀吉の前の天下人は信長。松田先生、実は岡豊の城に、信長の強い影響の痕跡があるのではないか、という話もされておりました。去年紹介した坂本城の石積みが積まれる更に以前の、石垣の原型となるようなもの。
今度、岡豊山へ行って見てきます。
いやー、石積みって、本当に面白い。面白くないですか?