羽田開港、飛行場の歴史〔8167〕2025/08/25

2025年8月25日(月)晴れ!
クマゼミの声はすっかりと減ってしまい、コオロギ、鈴虫の朝になったけど、暑い。今朝も結構蒸せました。ここは、羽田への始発便が出る直前の高知空港。間も無く、JALの羽田行きが駐機場を離れ、羽田空港への向かいます。
ここは物部川河口の土手の上。今気付いたけど、眼下に夾竹桃。根っこに毒があるとかで敬遠され、最近は減ってきた夾竹桃が、夏の暑さに耐えてピンクの花を咲かせてました。
さて、8月25日。ウィキみると、1931年(昭和6年)の今日、羽田飛行場が開港してます。ライト兄弟が人類初の飛行をしたのが1903年。何と、その7年後の1910年(明治43年)、日本でも日本人による飛行が行われてます。明治43年12月19日、代々木公園で。
予定では、もっと前の日に飛ぶことになってました。それこそ大観衆が集まったようやけど、エンジン不調でなかなか飛ばす、徐々に観客も減ってしまった12月19日、徳川好敏大尉がフランス製のアンリ・ファルマン機で4分間、代々木練兵場上空を2周、3000m飛んだのでした。同じ日、同じ場所で日野熊蔵大尉もドイツ製グラーデ機で飛行しており、代々木公園には今も、日本航空発祥の地の記念碑と二人の鏡像が、置かれています。
ところが。所沢市のホームページ見ると、
「所沢はなぜ『日本の航空発祥の地」』と言われているのか」
と書いてます。代々木公園ではなくて所沢が。それは、このページに書いているように、徳川大尉と日野大尉が初めて飛行した翌年、所沢に日本で初めての飛行場が作られたから、なのでした。ここで気になったのが、このページのこの記載。
「徳川好敏大尉が操縦するフランス製のアンリ・ファルマン機が日本で初めて、飛行場での飛行に成功」
ん?最初は代々木公園ではなかったのか?と一瞬思うけど、この文章の「飛行場での」がポイントでした。そう。代々木練兵場は飛行場ではないですきんね。なるほど。
その後、民間利用も含めて飛行機の利用は拡大していく、日本。94年前の今日、羽田飛行場が開港するまでは、東京湾などを利用した水上飛行機がメインとなっておったようです。
で、高知で初めての飛行場も、水上飛行機の飛行場でした。羽田飛行場ができた2年後、昭和8年ごろのこと。浦戸湾にできた水上飛行機の飛行場については、幾度かこのにっこりでも書いてきました。その飛行場は、高知新聞社さんが頑張ってつくったもの。最初は、朝倉の練兵場も飛行場候補やったけど、ちと狭い。そんな訳で、浦戸湾が飛行場となったのでした。
戦争が激しくなってきて、軍隊に使われる目的で飛行場がつくられるように、なる。この高知空港の場所に、海軍航空隊がつくられ、命山を取り崩して滑走路が建設されました。他にも、三里の海岸とか、こないだ高知新聞にも掲載された窪川の飛行場とか。
戦後、日章の飛行場以外は跡形もなくなり、昭和27年まで連合国に接収されていた日章飛行場は曲折を経て民間飛行場となり、大きくなって、今に至っているのであります。
暑いねー。さあ、暑いけど、仕事仕事!