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右翼の源流と、民権運動〔4805〕2016/06/11

右翼の源流と、民権運動

2016年6月11日(土)晴れ

蒸せます。雨は、降らない。
今日はお昼から夜までビッシリと会合なので、午前中、南嶺をたつくってきました。そうでもせんと、身体に不純物がたまっていくような気がして気がして。
そんな訳で、今日は、まずは塩屋崎から筆山を駆け上がる。

もう、草ぼうぼうの山道。おびただしいお墓の中を、時にお墓の敷地に入ったりしながら、駆け上がる。道はいくつか別れちょりますが、一番草の無い道を上がっていくと、筆山の山頂公園に、出ます。
今朝はそこから高見山のヤギ牧場痕跡、ライオン岩を経由して土佐塾高校の山、鷲尾山と駆け抜けました。いや、駆け抜ける予定でした。

しかし。
いや〜、身体、なまっちょります。
土佐塾高校を越え、深谷から吉野へ抜ける道との交差から、鷲尾山の急斜面を駆け上がるのでありますが、山頂の少し手前で、苦しい苦しい。
いや、いつもは「苦し心地良い」ので、その「苦し心地良さ」を楽しむのでありますが、今朝はどうしたことか「苦し心地悪い」。これは、ちょっと危険な兆候。
てな訳で、ここで大人の分別。水分を補給して。
また、急坂を駆け下り、吉野の方へと下って温泉へ。
今日は暑うて暑うて、ことうたがかも知れませんな。

写真は、塩屋崎の、筆山の登り口。以前は普通の登り口やったのが、最近、このように白い手すりができて、避難路として整備されちょります。そう。南海地震では、この界隈まで浸水します。

その避難路脇。「楠瀬喜多の墓」と書かれた案内板が、雑草に埋もれていました。ここから500mとのこと。
しかし、上にも書いたように、この上の道は無数に枝分かれしちょります。そして、お墓も無数。この中から、自由民権運動華やかなりし頃、女性参政権を目指して、演説会などに参加しまくっていた、通称「民権ばあさん」、楠瀬喜多さんのお墓、いまだによう探しちょりません。

そのお墓を建立したのは、日本の右翼の源流、玄洋社をつくった右翼の巨魁、頭山満なんですね。これは、以前にも書きました。
自由民権運動に傾倒した若き頭山満が、明治13年に立志社を訪れた際、楠瀬喜多さんの家に居候し、帰りの旅費まで借りていった、という、縁。えにし。

その恩義を忘れていなかった頭山満、大正9年に喜多ばあさんが亡くなった際、お墓を建てるお金を出したのであります。

その話を昔聞いた際は、自由民権運動に、なぜ、頭山満が?と違和感を抱いたことでしたが、信仰、ナショナリズム、愛国、天皇、といった日本の社会、思想を知った今では、まったく、違和感なく納得できるようになりました。

元々、明治維新の考え方は、「一君万民ナショナリズム」。つまり、天皇は絶対ですが、その下の国民は、すべて平等である、という思想。「国家」ではなくて「国民」。大切なのは、「国民」。
維新後の政府が、必ずしもそんな政府になってないではないか、というので、各地で士族の反乱が発生。西南戦争にて終息。その後、武力ではなくて、言論で、「一君万民」という思想を推し進めていこうとしたのが自由民権運動。
板垣退助がつくったのは「愛国公党」ですきんね。

その流れでできたのが、頭山満の玄洋社。玄洋社の思想は、「皇室を敬戴すべし」「本国を愛重すべし」、そして「人民の主権を固守すべし」。人民主権だったんだ。
その後、国学の影響を受ける人々の右翼思想が合流してくることで、「国民」の部分が変質してゆく。
そして。「国民」よりも「国家」が大切だ、とされるようになっていったのが、日本。

それからの歴史は、明治初頭に制度設計を考えた人々は意図していなかったくらい、国家神道、天皇、愛国、国体、といった考えが、ベキ乗則で広まった。

そんな歴史を知ると、この楠瀬喜多さんのお墓を頭山満さんが建立した、という話は、完全に、理解できます。


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