大田口駅と土佐岩原駅とキッチンなかとよや〔8084〕2025/06/03

2025年6月3日(火)小雨
昨夜から降った雨もお昼にはあがり、しばらくは晴れる予報。週末くらいから雨が続く予報なので、その辺から梅雨入りでしょうか。梅雨入り前の晴れ間を楽しんでおきたいねー。
さて。先日、JR四国繁藤駅の駅舎が取り壊される、という話題を書きました。経営合理化の一環でしょうか。列車のすれ違いや保守車両の停車駅にもなってるような大きめの駅でも、駅舎の取り壊しの流れは進んでおるようです。
こないだ土曜日、国道32号線を走った際に、そんな二つの駅を撮影してきました。大田口駅と土佐岩原駅。
大田口駅は、大杉駅のふたつ向こう。「大きい田口」ではありません。国宝薬師堂があることで有名な豊楽寺が「大田山豊楽寺」なので、その玄関口といった意味と聞いたこと、あります。Googleのストリートビューは、2023年4月の写真なので、まだ駅舎が残ってました。こぢんまりとした駅舎やね。17年前、故坂東眞砂子さんが「鬼神の狂乱」を出版された際のシンポジウムでやって来たこと、思い出します。右上の写真が現在の大田口駅。工事用のトラックが停まっている場所に、駅舎がありました。この日、この向こうで、多くの作業員さんが保守作業をされてました。人員不足で日中にも保守作業をするようになった、と聞いてたけど、本当なんですねー。
土佐岩原駅は、県境の駅。ひとつ向こうが徳島県の大歩危駅。左上が現在の写真で、ストリートビューではこれ。2021年7月の写真なので、当然駅舎も、あります。ここの駅舎はなかなか立派でした。
岩原の山の上には、弊社元総務部長さんの実家があります。蕨やぜんまいの山を持っておられるので、幾度か山菜採りにお邪魔したのを思い出します。昨日書いたのは源平合戦の時代の落人の話ですが、岩原は、それより250年も前、承平天慶の乱の時代の、藤原純友一族の落人伝説がありますね。山の歴史は、侮れません。
その元総務部長さんが、弊社を定年退職した後に岩原の国道沿いにオープンしたのが「キッチンなかとよや」さん。その日のお昼は、「なかとよや」で「カツレツ定食」食べてきました。下の写真。僕はこの「カツレツ定食」が大好きです。
土讃線。歴史ある駅舎は姿を消していくけど、山の暮らしは守っていきたいね。